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2009年 04月 07日

strada maggiore, 43

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ボローニャの二本の塔の右側を走る道をstrada maggiore と言う。この道は旧エミリア街道で、この道を真っ直ぐ行くとリミニを経由してローマへと続く道であった。ボローニャ旧市街のどの通りを歩いても古い興味深い建物を見ることが出来るけど、この通りにはとりわけそうした建物が並んでいる。多分、ローマへと続く道だったからなのだろう、と思う。塔を背にして歩き出す。道の右側には延々とポルティコ(回廊)が続いている。その長さは900mとも言われていて、建物ごとに色や様式が違うポルティコを鑑賞しながら歩くのはとても楽しい。バスで一気に通過してしまうのは惜しすぎる。ゆっくり時間を掛けて時々立ち止まりながら歩いて貰いたい。この通りの丁度真ん中辺り、strada maggiore, 43 にSanta Maria dei Servi と言う名の教会がある。なかなか古い教会で調べたところによると1345年に建てられたそうだ。この教会には何故か未だに足を踏み入れたことがない。しかしまるで吸い寄せられるかのようにいつも自然と教会の前に辿り着く。教会の外に施されたこの美しいポルティコが好きなのだ。教会が出来た後に作られたこれらはやはり古く、1400年前後のものである。その古くて存在感のある壁にフレスコ画が施されたのは更に200年ほど後のことだそうだけど、当然のことながら年月を通過しているうちに朽ちてしまった。私がボローニャに住み始めた頃、知人がこの先で自転車屋を営んでいることもあってよくこの前を歩いた。フレスコ画は殆ど消えていて、と言うよりは壁自体がくすんでいて絵が潜んでいることすら気がつかなかった。もっともその頃の私はそういうことに気がつく余裕がなかったのかもしれなかった。知人も友人も両手に数えるほどしかいなかったから、一分でも早く自転車屋へ辿り着きたい一心だったのかもしれなかった。自転車屋へ行って何をするでもない、何を話すでもなかったが其処へいくと安心した。だからなのか、この自転車屋には用もないのに出入りする人達が沢山居た。さて、その朽ちた壁だが、近年になって修復作業が少しづつ進んでいるようだ。市民はもう見慣れてしまったのだろうか、足を止めて鑑賞する人はあまりいない。不思議た。私など何度見ても飽きることなく、また目が慣れてしまうこともない。ここを歩く度に歩いては立ち止まり、の繰り返しだ。私が市民でないからなのだろうか。兎に角、私はこの壁から沢山のことを感じるのだ。時には喜びを与えられ、時には深く考えさせられる。strada maggiore, 43 はそんな場所である。
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# by paesi | 2009-04-07 23:57 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 05日

Medicina (メディチーナ) へ行こう

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ボローニャの二本の塔から旧市街の外に向かって真っ直ぐ伸びるvia san vitale 。現在は旧市街を囲む環状道路の向こう側へ行くと名前が変わってvia g. massarenti、そしてその先へ行くとvia enrico mattei と呼ばれているが、昔は何処まで行ってもvia san vitale であった。年配のボローニャ人たちと話していると時々話が食い違う。彼らにとってこの道は今も昔もvia san vitale のだ。さてそのvia san vitaleを30kmほどひたすら平地を走っていくとMedicina (メディチーナ) という町に辿り着く。丁度ボローニャの東に位置するこの町がMedicina と呼ばれるようになったのは随分昔の話で、12世紀頃と伝えられている。
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“赤ひげ”の異名で呼ばれていたフェデリコ1世がこの地を通り抜ける際に蛇のスープを食したところ、持病が治った。それでここがMedicina (=薬) と呼ばれるようになった、という話だ。蛇のスープか。これで持病が治るなら、少々勇気が要るけれど試してみようか。きっと当時はそんな風にして話が人から人へと伝わってこの町を訪れる人が絶えなかったに違いない。毎年9月第二日曜日には中世の祭りが催され、周囲の町からも沢山の人が見物に来る。例のフェデリコ1世の頃を再現した祭りである。葡萄酒色や深緑したビロードの中世の衣服を纏った人々が町を歩く様子を想像してみる。素晴らしい光景だ。実際それはそれは美しいのだそうだ。毎年そう聞いていながら未だに祭りを見に行ったことが無いとは何ということか。今年こそ、とカレンダーに印をつけた。Medicina の旧市街はボローニャとは比べることも出来ない位の小規模だ。その小さな旧市街の中に私が覚えているだけで5つの教会が存在する。大きいものあり、小さいものあり。不思議な町だ。そして美しく静寂な町だ。
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ある土曜日の午後、私は急に思いついてこの町を初めて訪れて一目惚れした。ボローニャに良く似たつくり、しかしもう少し骨太で地にしっかり根を生やした感じのする町だった。そして何よりも住人が余所者に優しい。何処を歩いても東洋人のひとりもいなかったが、誰が私を珍しげに見るでもなく、自分がもう何年もこの町に住んでいるかのような錯覚に陥った。居心地の良い町。いつか住んでみると良いかもしれない。そんなことを思いながら幾度も角を曲がりながら表通りと裏通りを巡り歩いた。平地の町だ。丘や山側に住む人たちはこの辺りの平地を冬は霧が濃くて夏は焼けるように暑いと言ってあまり褒めることが無いけれど、そんなことは無い。近年は丘も山も霧が濃いし真夏はやはり焼けるように暑いのだ。それに丘や山の冬の寒さといったらないではないか。何処にだって良い点あり、悪い点あり。人から聞いた話をうっかり鵜呑みにしようものなら知らないで損することが沢山ある。何でも自分の目で確かめなくては。開けた大地、開けたメンタリティ。明るくてからりとして、そして文化と歴史を自慢したりひけらかすことはないがちゃんと有るものは有るMedicina がすっかり気に入った。
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# by paesi | 2009-04-05 22:54 | ボローニャ近郊の町
2009年 04月 03日

chiesa di san petronio (サン・ぺトロニオ教会)

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piazza maggioreの南側にバジリカ派サンペトロニオ教会がある。サン・ペトロニオと言うのはボローニャの守護聖人で、彼はこの教会に葬られている。14世紀後半に自治体と自由のシンボルとして世界で一番大きい教会になるように設計されたが、当時の権力者であるローマ法王がバチカンのサン・ピエトロ寺院よりも大きい教会を作ることを許さず、上から見ると丁度十字架のように見えるべき建物の左右の翼の建築を取り止めせざるをえなかった、と言い伝えられている。イタリア何処へ行っても自分の住む町の自慢する人が沢山居るから、これもそんなボローニャ人の作り話だと思ったが、調べてみたらどうやら本当の話らしい。教会の中に入ると天井の高さに圧倒される。高さは45mだ。教会とは皆そんな風に天井が高いものだが、この教会は外の光を上手く取り入れていて内部が明るいために尚更天井が高く感じる。
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天井の中ほどに光が射しこむように丸い穴が設けられているのが見える。そして大理石の床を見渡すと向こうのほうに長い直線が描かれている。これは1655年に天文学者Gian Domenico Cassiniが作った日時計である。雲のない日には正午になるとこの穴から日が差し込んで床に記された正午の場所を照らす仕組みだ。初めて教会に入った時、私は天井の穴を探していた。ないない、と言いながらしきりに上を見上げている私を見かねたらしく、後ろから肩を叩く人が居た。振り向くと年配の男性が数人居た。ほら、あそこ。そう言って上のほうを指差して教えてくれた。本当だ、あんなところに。彼らはジェノヴァに住む元国鉄職員だそうで、年金生活の今は何かにつけて昔の仲間と一緒にイタリア中を旅するのだそうだ。ジェノヴァ人の彼らはボローニャを良い町だと褒め、ボローニャに暮らす私を酷く羨ましがった。勿論あの頃の私はといえば、ボローニャの良さなどちっとも分かっていなかったので、ふん、そんなものかしらね、などと言いながら元国鉄職員たちと別れた。250年以上かけて建設工事したが途中で資金が尽きたのか、それとも何か他の理由でか、サン・ペトロニオ教会は未だに未完成である。下半分の大理石に覆われた完成部分、そしてその上部には煉瓦がむき出しになっていて遠くから見ると黒ずんで見える未完の部分。言われなければ気がつくこともあまりない。これがサン・ペトロニオ教会の姿なのだと思えるものだ。内部も興味深いが教会の外を一周してみるのもよい。色んな表情があるのだから。ミラノの細工の美しい大聖堂やバチカンのサン・ピエトロ寺院を横に並べて比べたら恐らく地味で質素に見えるに違いないボローニャのこの教会を、それがボローニャらしいと思っているボローニャ人が沢山居るってことも記しておこう。
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# by paesi | 2009-04-03 23:45 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 02日

piazza maggiore (マッジョーレ広場)

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何処から歩き始めようか。と考えるなら、町の中心の広場から歩き始めたい。ここで人と待ち合わせをすると相手を見つけるのに苦労することもたまにはあるが、向こうの方から相手が歩いてくるのを見つけるや否や大きく手を振りながら名前を呼びあってまた会えたことを喜び合うのがとても好きだ。マッジョーレ広場。四方を囲まれたこの場所を、なんだ、何も無いではないかとがっかりする人だって居るかもしれない。私が初めてボローニャに来た時そう思ったので、そういう人の気持ちが分かると言うものだ。ここがマッジョーレ広場だと自慢げに言うイタリア人を横にしながら少し肩すかしされたような気分でもあった。でも、もしあの日の私にもう少しこの町の知識があったらば、違った目で見ることが出来たの違いない。四方を大きな堅苦しい建物で囲まれたこの広場は政治の中心であり、マッジョーレ(maggiore =より重要な、より大きい) の名の通り政治と市民が交わるボローニャ社会の中でも特に大切な場所だった。広場が設けられたのは13世紀に遡る。広場の南側にはサン・ペトロニオ教会とその隣に公証人の館、その正面にはポデスタ宮殿、広場の西側には市庁舎、東側にはビアンキ宮があり、それらもまた広場同様にボローニャの人々にとっては重要で意味のあるものばかりだ。ルネサンス時代になると広場では武器を用いた馬上の試合やサッカーの試合、そのほかにも様々な遊びが繰り広げられたらしい。目を瞑ると試合を取り囲む人垣や熱気が想像できる。人々の声が聞えてきそうだ。現在のマッジョーレ広場は子供や動物を連れて市民が集まり、学生達が広場に腰を下ろして延々とお喋りを繰り広げたり、本を読んだり。暇を持て余しているのか、それともそういう習慣なのか、老人達が数人で円陣を組んでは政治について声高く論じ合う。一見喧嘩をしているようでもあり度の過ぎた討論会のようにも見えるが、決して仲違いではない。彼らは単に自分の意見を強く主張するのが好きなのだ。その証拠に、じゃ、またね、などと言いながら肩を叩きあいなが別れの挨拶をするのである。ここは現在も政治と市民の交わる場なのである。気候の良い季節になると広場で様々なイベントが開かれる。昼間のそんな賑やかな広場を見たら、日が暮れてからもう一度見て貰いたい。春夏の遅い夜は何時までも人が絶えなくて良い季節であることをもう一度実感することが出来るし、秋冬の寒い時期には橙色の照明に広場と周囲の建物が浮かび上がり人もまばらな広場を歩いているとまるで中世にタイムスリップした錯覚に陥る。昼間とは違った表情に何度見ても心を動かされる。一見そっけない何処にでもある空間のようだけど、何かにつけて足が向く場所。ボローニャの人々にとってここはそんな場所だ。
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# by paesi | 2009-04-02 23:14 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 01日

歩き始める前に

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ボローニャ市を中心に近郊の町を含むボローニャ県と時々県から出ての町歩きをしながら私が知っていること、町の人から聞いたこと、本を読んで知ったことなどを急がず力まずゆっくり書こうと思う。ボローニャ県とその周辺の町案内である。これは今まで私が人々から良くして貰ったことに対する感謝の還元である。4月の一番初めの日にこの挨拶が出来ることをとても嬉しく思う。
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# by paesi | 2009-04-01 22:12 | 挨拶