<   2009年 04月 ( 10 )   > この月の画像一覧


2009年 04月 24日

Palazzo Comunale (市庁舎)

f0199571_812198.jpg
マッジョーレ広場の西側にボローニャ市庁舎が建っている。私が知る限りイタリアのどの町も、町の大小に拘わらず、市庁舎は大抵一等地にあるものだ。ボローニャ市庁舎もまた例に漏れずに、と言うことになる。この大きな建物は実は複数の建物によって構成されていて、そのうちのひとつ、向かって左側の部分は13世紀終わりに市が買い入れたものだ。元を辿るとこの建物はボローニャ大学で法学の教鞭を振るっていたAccurusio (アックルーシオ)氏の持ち家だそうで、そう聞いて改めて外から眺めてみると個人の持ち家にしてはとんでもなく大きく、Accurusio家が如何に裕福であったかを簡単に想像することができる。この建物はボローニャ市に買い取られた当時、小麦の公共取引所なるものとして使われていたが、後には行政官庁に携わる長老たちの住いとして利用されたそうだ。14世紀前半には建築家Fioravantiによって正面中央の門が、そして奥には小さな中庭が作られた。
f0199571_8141284.jpg
この中庭と言うのが実にさっぱりしているのだが個人的に大変気に入っていて、町歩きに疲れたときなどにふらりと立ち寄っては大抵の場合先客のいるベンチがたまたま空いていると幸運と言わんばかりに腰を下ろす。この中に入ってくる人は案外少なくて居心地が良い。結婚の儀式が上の階であるときはこの小さな中庭が新郎新婦を祝う人々で一杯になってしまう。しかし喜びを分かち合う人々を庭の端っこで眺めるのもたまには良いものだ。 祝う人々の手には米粒が握られている。階上から降りて来る幸せに満ちた新郎新婦をめがけて米を投げるのだ。私もそうやって友人達を祝ったことがある。もう昔のことになってしまったけれど。結婚式の日以外は町のど真ん中にありながら建物の中も中庭も驚くほどひっそりしているボローニャの市庁舎は足を踏み入れるのを一瞬躊躇しがちだが、訪れる人たちを決して拒むことは無いので一度は見て頂きたい。歴史ある建物なのに仰々しさも偉ぶった様子も無く、素朴。それはまるでボローニャという町とそっくりなのだから。
[PR]

by paesi | 2009-04-24 23:55 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 19日

Piazza San Domenico (サン・ドメニコ広場)

f0199571_6125850.jpg
マッジョーレ広場から南西へと歩いて5分くらいだろうか。其処にChiesa di San Domenico (サン・ドメニコ教会) がある。教会が建てられたのは13世紀のことでこの教会にまつわる興味深い話は尽きない。大体、この教会がボローニャにあることからして関心深いのだ。スペイン生まれの聖ドメニコが1221年にボローニャで亡くなった為にドメニコ修道会の総本山であるサン・ドメニコ教会がボローニャに作られたのだ。外から見ると一見地味で興味をあまりそそらないが、中に入ると意外と大きく目を見張るような絵画や彫刻が納められていてひと回り見て歩くのも大変な時間が必要だ。聖ドメニコの墓が教会内に納められているが、それは当時の第一級彫刻家として知られていたNicola Pisano と彼の弟子の手によって作られた芸術作品と呼ぶに等しい物である。全く素晴らしいものなのだ。ミケランジェロの彫刻もある。18世紀前半には4年にわたって改築工事が行われ現在の姿となった。モーツアルトがここを訪れてパイプオルガンを弾いたのはそれから約40年後のことである。この教会を訪れる人は後を絶たない。そんな中、私のように中も良いけど外はもっと良いと思う人も居る。教会の正面から左側に向けて広がるサン・ドメニコ広場。教会の前はいつも何かの催しや訪問者で賑わっているので、教会左手の広場が良い。幾つかのベンチが設けられていて、本を読む人あり、買い物の途中に休憩する人あり、犬の散歩仲間達がお喋りを楽しんだり、私のようにそんな人々を観察する人だっている。何しろ静かなのだ。旧市街の真ん中ともいえる場所でありながら、こんなに静かで居心地が良いのは全く不思議だ。背の高い樹もあれば、青い空もある。ここはボローニャの人達のちょっとしたオアシスなのだ。
[PR]

by paesi | 2009-04-19 23:12 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 13日

Corte Isolani

f0199571_22595526.jpg
2本の塔からStrada Maggiore を歩き出して5分としない辺りにCorte Isolani (イゾラーニ家の館)がある。面白いのはこれをCorte (宮廷) と呼んだりPalazzo (館) と呼んだり単にCasa (家)と呼ぶこともあることだ。書物によって呼び方が違うのは何故だろう。私は今までCasa と呼んでいたけれど、実際建物の壁にCorte Isolani と記されているのだからそう呼ぶのが良いだろう。さて、それでこのCorte Isolani は13世紀に当時の上院議員だったIsolani の住まいとして建てられたものだ。古い建築物はボローニャ旧市街に沢山あるから、それだけを語るならあまり珍しくもない。ただこれが他と違うのはポルティコの柱と梁が樫の木材で作られていることだ。ポルティコの高さは9m。地上から見上げても道の向こう側から眺めても圧巻だ。1877年に建物が持つ元来の特質を失わないように同じ素材を利用して修復された。もともとポルティコとは住宅事情の悪さから生まれたものらしい。歩道をポルティコ覆い、その上に部屋を作る。それからポルティコの下では職人達が仕事をしたという。暗い仕事場よりも断然明るい、しかし雨風から守られたポルティコの下で仕事するのが好まれたのだろう。話を戻すとポルティコが住宅事情の悪さから生まれた代物ならば、こんなに天井が高くてその上には一階分しか部屋を作らなかったのは理に合わないけれど、裕福な家なのだ。住宅事情は決して悪くあるまい。たぶん単に歩道を覆うために作られたものなのだろう、と私なりに理解してみた。現在この建物には沢山の店やオフィスが入っている。少しスノッブな匂いのする場所で、どの店も一様に高い。しかし目の保養にはとても宜しく、ひとりで、それとも友人達と美しいものたちを物色しながら歩くのはとても楽しい。中にあるワインバーやカフェは思ったほど高くない。安くこそないがこの程度の値段なら許せるというレベルである。こんな私ですら時々友人と利用するのだから保障つきだ。ワインバーは地元の人達が金曜日の夜になるとここに集まるので、直ぐに一杯になってしまう。そんな賑やかな様子を眺めるのも案外楽しい。ただ、レストランはどうだろう。まだ勇気がないので未開の地だ。階段を上がったり降りたりしながら真っ直ぐ行くと建物の反対側にあるPiazza Santo Stefano (サント・ステファノ広場) に出るという仕組みだ。
[PR]

by paesi | 2009-04-13 16:12 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 11日

Biblioteca sala borsa

f0199571_2454072.jpg
市庁舎に隣接して在る、ボローニャ市が所有物するこの建物を現在私達はBiblioteca sala borsa と呼んでいる。旧取引会場である。歴史を辿っていくと単にそれだけでなく、なかなか面白い話も背後にある。が、今日はそういったことは置いといて現在の姿を見て貰いたい。建てる為に地面を掘ったところローマ遺跡が出てきたそうだ。地上階に分厚いガラス板を張っているのは、それらを保管するためである。そしてそうすることで私達は遥か昔の時代を単なるお話ではなくて本当に存在したことであることを実感することが出来るのだ。日本式に言う三階建てのこの建物は外から見るとごつくて薄黒いが、狭い入り口を潜り緩い下り坂の廊下を歩いて広間に一歩足を踏み入れると一瞬足がすくむ。広間の天井は吹き抜けで周囲には階ごとに回廊がめぐらされている。吹き抜けの高い天井にはリバティ様式のフレスコ画が施されていて、とても優雅だ。何年か前、ここに本屋が入っていた。何と言う名だっただろうか。あまり長く続かず、ある日立ち寄ってみたら閉店セールをしていた。半額にもなった前から欲しかった何冊かの本を両腕に抱えて家に帰ったのは何年前のことだっただろう。その後、ここは図書館になったのだ。素晴らしい発想ではないか。毎日新しく出る新聞を自由に閲覧することも出来ればインターネットを利用することも出来る。地上階と最上階では展示物があり、思いがけずいいものを鑑賞する機会に恵まれたりと、ここは一般市民に開放された宝石のような場所だ。それだけでない。夏の暑い日差しや冬の冷たい風に疲れた時、天気の悪い日の友人との待ち合わせに、ここは最適な場所なのである。
[PR]

by paesi | 2009-04-11 20:13 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 08日

palazzo dei notai (公証人の館)

f0199571_7562717.jpg
マッジョーレ広場に面して建つポデスタ宮殿の地上階のここに、ボローニャの人々は腰を下ろして寛ぐのが好きだ。石段に腰を下ろすのも良いが、ちょっと奮発してカフェのテーブル席につくのもたまには良い。奮発して、と言うのには理由がある。何しろ一等地にあるカフェのテーブルについて頂くカップチーノは格別な味がするような気がするものの、一瞬聞き間違えたかと思うような不親切な値段がついているからだ。それでいて一度この席に座る喜びを味わってしまうと、その不親切な値段にも拘らずまた其処に座りたくなる。何しろ眺めが良い。人間観察にはもってこいの場所である。そしてひとりでほっと一息をつきながらカフェをするにもとてもよい場所だと思う。この席の正面に見えるのはpalazzo dei notai (公証人の館)。サン・ペトロニオ教会とは小道を挟んで隣り合うこの館は14世紀前後に建てられ、幾度か修復を繰り返しながらその姿を保ち続けている。この建物、実は初めに左側半分、つまり教会側が作られた。そして半世紀後に右半分が増築されたそうだ。成る程、よく見ると地上階のつくりが違う。そんなことを聞かなければ気がつかない程度の違いだけど。公証人にはあまり縁のない私であるが、そしてそれで良いとも思っているのだが、この建物には何かと縁があり幾度となく足を運んだ。まずは教会に面した場所にある地上階の小さなバールだ。何時の頃からか知人が誰かと共同経営しているので、近くに来たついでに立ち寄る。それから広場や通りからは見えない奥まった場所にあった小さな散髪屋。これも知人がやっていたので散髪をして貰うことはなかったが立ち寄っては年配の散髪師を時々バールに誘った。そんなことも散髪師が年金生活に入ることを決心した数年前を期に店はあっさりとたたまれて、散髪師も店もセットにして過去のことになってしまった。上の階にはcentro di documentazione delle donne といって女性をサポートしてくれる協会が在った。私は決して困っていたわけではないけれど何度かインターネットを無料で使わせて貰った。女性だけに開放されている空間で利用しない手はなかった。あれからもう何年も経つけれど、今も女性に空間を開放しているのだろうか。近いうちに立ち寄ってみることにしよう。それから広場に面した地上階にある老舗の仕立て屋さん。長い間この店がとても気になっていた。この冬のこと、ショーウィンドウを眺めていたら美しいブルーのマフラーが目に入った。紳士向けのものらしかったが、その美しい色や柄は紳士だけにでは勿体無いと思った。早い話が自分にとてもよく似合うと思ったわけだ。中に入って聞いてみるとそれは表地が重みのあるシルク、裏地がさらりとした手触りのウールの二枚合わせのマフラーで店で作っていることが分かった。首に巻いてみると良く似合った。店の人に他の色もあったら見せて欲しいと頼んでみた。すると生地を選べば作ってくれると言う。こんなのがある、あんなのがある、とまるで呉服屋の奥で反物を広げるみたいにして数々のシルク地を広げて見せてくれた。その中から陽だまりのような暖かい橙色を選び出し、そして橙色が映える色のウール地を選んだ。冬の割引を良いことに美しいブルーと暖かい橙色の二枚を購入した。ちょっと太っ腹すぎたかと後悔したが、それらの美しさといったら、暖かさといったら、肌触りのよさといったら! 何処へ行っても褒められた。あまり嬉しかったので近くに来たついでに店に立ち寄って報告したら皆とても嬉しそうだった。そんなこともあって、私には大変身近に感じられる建物である。公証人に用はないが、用が他の色んな所にあるこの建物とはこれからも付き合いが続きそうである。
[PR]

by paesi | 2009-04-08 23:46 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 07日

strada maggiore, 43

f0199571_6395833.jpg
ボローニャの二本の塔の右側を走る道をstrada maggiore と言う。この道は旧エミリア街道で、この道を真っ直ぐ行くとリミニを経由してローマへと続く道であった。ボローニャ旧市街のどの通りを歩いても古い興味深い建物を見ることが出来るけど、この通りにはとりわけそうした建物が並んでいる。多分、ローマへと続く道だったからなのだろう、と思う。塔を背にして歩き出す。道の右側には延々とポルティコ(回廊)が続いている。その長さは900mとも言われていて、建物ごとに色や様式が違うポルティコを鑑賞しながら歩くのはとても楽しい。バスで一気に通過してしまうのは惜しすぎる。ゆっくり時間を掛けて時々立ち止まりながら歩いて貰いたい。この通りの丁度真ん中辺り、strada maggiore, 43 にSanta Maria dei Servi と言う名の教会がある。なかなか古い教会で調べたところによると1345年に建てられたそうだ。この教会には何故か未だに足を踏み入れたことがない。しかしまるで吸い寄せられるかのようにいつも自然と教会の前に辿り着く。教会の外に施されたこの美しいポルティコが好きなのだ。教会が出来た後に作られたこれらはやはり古く、1400年前後のものである。その古くて存在感のある壁にフレスコ画が施されたのは更に200年ほど後のことだそうだけど、当然のことながら年月を通過しているうちに朽ちてしまった。私がボローニャに住み始めた頃、知人がこの先で自転車屋を営んでいることもあってよくこの前を歩いた。フレスコ画は殆ど消えていて、と言うよりは壁自体がくすんでいて絵が潜んでいることすら気がつかなかった。もっともその頃の私はそういうことに気がつく余裕がなかったのかもしれなかった。知人も友人も両手に数えるほどしかいなかったから、一分でも早く自転車屋へ辿り着きたい一心だったのかもしれなかった。自転車屋へ行って何をするでもない、何を話すでもなかったが其処へいくと安心した。だからなのか、この自転車屋には用もないのに出入りする人達が沢山居た。さて、その朽ちた壁だが、近年になって修復作業が少しづつ進んでいるようだ。市民はもう見慣れてしまったのだろうか、足を止めて鑑賞する人はあまりいない。不思議た。私など何度見ても飽きることなく、また目が慣れてしまうこともない。ここを歩く度に歩いては立ち止まり、の繰り返しだ。私が市民でないからなのだろうか。兎に角、私はこの壁から沢山のことを感じるのだ。時には喜びを与えられ、時には深く考えさせられる。strada maggiore, 43 はそんな場所である。
[PR]

by paesi | 2009-04-07 23:57 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 05日

Medicina (メディチーナ) へ行こう

f0199571_5563899.jpg
ボローニャの二本の塔から旧市街の外に向かって真っ直ぐ伸びるvia san vitale 。現在は旧市街を囲む環状道路の向こう側へ行くと名前が変わってvia g. massarenti、そしてその先へ行くとvia enrico mattei と呼ばれているが、昔は何処まで行ってもvia san vitale であった。年配のボローニャ人たちと話していると時々話が食い違う。彼らにとってこの道は今も昔もvia san vitale のだ。さてそのvia san vitaleを30kmほどひたすら平地を走っていくとMedicina (メディチーナ) という町に辿り着く。丁度ボローニャの東に位置するこの町がMedicina と呼ばれるようになったのは随分昔の話で、12世紀頃と伝えられている。
f0199571_6105638.jpg
“赤ひげ”の異名で呼ばれていたフェデリコ1世がこの地を通り抜ける際に蛇のスープを食したところ、持病が治った。それでここがMedicina (=薬) と呼ばれるようになった、という話だ。蛇のスープか。これで持病が治るなら、少々勇気が要るけれど試してみようか。きっと当時はそんな風にして話が人から人へと伝わってこの町を訪れる人が絶えなかったに違いない。毎年9月第二日曜日には中世の祭りが催され、周囲の町からも沢山の人が見物に来る。例のフェデリコ1世の頃を再現した祭りである。葡萄酒色や深緑したビロードの中世の衣服を纏った人々が町を歩く様子を想像してみる。素晴らしい光景だ。実際それはそれは美しいのだそうだ。毎年そう聞いていながら未だに祭りを見に行ったことが無いとは何ということか。今年こそ、とカレンダーに印をつけた。Medicina の旧市街はボローニャとは比べることも出来ない位の小規模だ。その小さな旧市街の中に私が覚えているだけで5つの教会が存在する。大きいものあり、小さいものあり。不思議な町だ。そして美しく静寂な町だ。
f0199571_614330.jpg
ある土曜日の午後、私は急に思いついてこの町を初めて訪れて一目惚れした。ボローニャに良く似たつくり、しかしもう少し骨太で地にしっかり根を生やした感じのする町だった。そして何よりも住人が余所者に優しい。何処を歩いても東洋人のひとりもいなかったが、誰が私を珍しげに見るでもなく、自分がもう何年もこの町に住んでいるかのような錯覚に陥った。居心地の良い町。いつか住んでみると良いかもしれない。そんなことを思いながら幾度も角を曲がりながら表通りと裏通りを巡り歩いた。平地の町だ。丘や山側に住む人たちはこの辺りの平地を冬は霧が濃くて夏は焼けるように暑いと言ってあまり褒めることが無いけれど、そんなことは無い。近年は丘も山も霧が濃いし真夏はやはり焼けるように暑いのだ。それに丘や山の冬の寒さといったらないではないか。何処にだって良い点あり、悪い点あり。人から聞いた話をうっかり鵜呑みにしようものなら知らないで損することが沢山ある。何でも自分の目で確かめなくては。開けた大地、開けたメンタリティ。明るくてからりとして、そして文化と歴史を自慢したりひけらかすことはないがちゃんと有るものは有るMedicina がすっかり気に入った。
[PR]

by paesi | 2009-04-05 22:54 | ボローニャ近郊の町
2009年 04月 03日

chiesa di san petronio (サン・ぺトロニオ教会)

f0199571_8134410.jpg
piazza maggioreの南側にバジリカ派サンペトロニオ教会がある。サン・ペトロニオと言うのはボローニャの守護聖人で、彼はこの教会に葬られている。14世紀後半に自治体と自由のシンボルとして世界で一番大きい教会になるように設計されたが、当時の権力者であるローマ法王がバチカンのサン・ピエトロ寺院よりも大きい教会を作ることを許さず、上から見ると丁度十字架のように見えるべき建物の左右の翼の建築を取り止めせざるをえなかった、と言い伝えられている。イタリア何処へ行っても自分の住む町の自慢する人が沢山居るから、これもそんなボローニャ人の作り話だと思ったが、調べてみたらどうやら本当の話らしい。教会の中に入ると天井の高さに圧倒される。高さは45mだ。教会とは皆そんな風に天井が高いものだが、この教会は外の光を上手く取り入れていて内部が明るいために尚更天井が高く感じる。
f0199571_817401.jpg
天井の中ほどに光が射しこむように丸い穴が設けられているのが見える。そして大理石の床を見渡すと向こうのほうに長い直線が描かれている。これは1655年に天文学者Gian Domenico Cassiniが作った日時計である。雲のない日には正午になるとこの穴から日が差し込んで床に記された正午の場所を照らす仕組みだ。初めて教会に入った時、私は天井の穴を探していた。ないない、と言いながらしきりに上を見上げている私を見かねたらしく、後ろから肩を叩く人が居た。振り向くと年配の男性が数人居た。ほら、あそこ。そう言って上のほうを指差して教えてくれた。本当だ、あんなところに。彼らはジェノヴァに住む元国鉄職員だそうで、年金生活の今は何かにつけて昔の仲間と一緒にイタリア中を旅するのだそうだ。ジェノヴァ人の彼らはボローニャを良い町だと褒め、ボローニャに暮らす私を酷く羨ましがった。勿論あの頃の私はといえば、ボローニャの良さなどちっとも分かっていなかったので、ふん、そんなものかしらね、などと言いながら元国鉄職員たちと別れた。250年以上かけて建設工事したが途中で資金が尽きたのか、それとも何か他の理由でか、サン・ペトロニオ教会は未だに未完成である。下半分の大理石に覆われた完成部分、そしてその上部には煉瓦がむき出しになっていて遠くから見ると黒ずんで見える未完の部分。言われなければ気がつくこともあまりない。これがサン・ペトロニオ教会の姿なのだと思えるものだ。内部も興味深いが教会の外を一周してみるのもよい。色んな表情があるのだから。ミラノの細工の美しい大聖堂やバチカンのサン・ピエトロ寺院を横に並べて比べたら恐らく地味で質素に見えるに違いないボローニャのこの教会を、それがボローニャらしいと思っているボローニャ人が沢山居るってことも記しておこう。
[PR]

by paesi | 2009-04-03 23:45 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 02日

piazza maggiore (マッジョーレ広場)

f0199571_8333424.jpg
何処から歩き始めようか。と考えるなら、町の中心の広場から歩き始めたい。ここで人と待ち合わせをすると相手を見つけるのに苦労することもたまにはあるが、向こうの方から相手が歩いてくるのを見つけるや否や大きく手を振りながら名前を呼びあってまた会えたことを喜び合うのがとても好きだ。マッジョーレ広場。四方を囲まれたこの場所を、なんだ、何も無いではないかとがっかりする人だって居るかもしれない。私が初めてボローニャに来た時そう思ったので、そういう人の気持ちが分かると言うものだ。ここがマッジョーレ広場だと自慢げに言うイタリア人を横にしながら少し肩すかしされたような気分でもあった。でも、もしあの日の私にもう少しこの町の知識があったらば、違った目で見ることが出来たの違いない。四方を大きな堅苦しい建物で囲まれたこの広場は政治の中心であり、マッジョーレ(maggiore =より重要な、より大きい) の名の通り政治と市民が交わるボローニャ社会の中でも特に大切な場所だった。広場が設けられたのは13世紀に遡る。広場の南側にはサン・ペトロニオ教会とその隣に公証人の館、その正面にはポデスタ宮殿、広場の西側には市庁舎、東側にはビアンキ宮があり、それらもまた広場同様にボローニャの人々にとっては重要で意味のあるものばかりだ。ルネサンス時代になると広場では武器を用いた馬上の試合やサッカーの試合、そのほかにも様々な遊びが繰り広げられたらしい。目を瞑ると試合を取り囲む人垣や熱気が想像できる。人々の声が聞えてきそうだ。現在のマッジョーレ広場は子供や動物を連れて市民が集まり、学生達が広場に腰を下ろして延々とお喋りを繰り広げたり、本を読んだり。暇を持て余しているのか、それともそういう習慣なのか、老人達が数人で円陣を組んでは政治について声高く論じ合う。一見喧嘩をしているようでもあり度の過ぎた討論会のようにも見えるが、決して仲違いではない。彼らは単に自分の意見を強く主張するのが好きなのだ。その証拠に、じゃ、またね、などと言いながら肩を叩きあいなが別れの挨拶をするのである。ここは現在も政治と市民の交わる場なのである。気候の良い季節になると広場で様々なイベントが開かれる。昼間のそんな賑やかな広場を見たら、日が暮れてからもう一度見て貰いたい。春夏の遅い夜は何時までも人が絶えなくて良い季節であることをもう一度実感することが出来るし、秋冬の寒い時期には橙色の照明に広場と周囲の建物が浮かび上がり人もまばらな広場を歩いているとまるで中世にタイムスリップした錯覚に陥る。昼間とは違った表情に何度見ても心を動かされる。一見そっけない何処にでもある空間のようだけど、何かにつけて足が向く場所。ボローニャの人々にとってここはそんな場所だ。
[PR]

by paesi | 2009-04-02 23:14 | ボローニャ旧市街
2009年 04月 01日

歩き始める前に

f0199571_5313466.jpg
ボローニャ市を中心に近郊の町を含むボローニャ県と時々県から出ての町歩きをしながら私が知っていること、町の人から聞いたこと、本を読んで知ったことなどを急がず力まずゆっくり書こうと思う。ボローニャ県とその周辺の町案内である。これは今まで私が人々から良くして貰ったことに対する感謝の還元である。4月の一番初めの日にこの挨拶が出来ることをとても嬉しく思う。
[PR]

by paesi | 2009-04-01 22:12 | 挨拶